なでしこ黄金世代の終焉

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Photo credit: amadeusrecord via Visual hunt / CC BY-SA

歴史を作ったサッカー、なでしこの一時代が終わった。2011年ドイツW杯優勝の立役者・澤穂希の引退、そしてリオ五輪への道が途絶えた2016年。ピークを過ぎてもメンバーの顔ぶれは変わらず、文字通り世代交代が進まなかった。

では、世代交代が進まなかったのはなぜか。これを考えると、思い浮かぶのが成功体験と組織の硬直化という2つのキーワードだ。

1つめの成功体験は言わずもがな輝かしい「結果」。2011年W杯に始まり、翌年にはロンドン五輪で銀メダル。15年カナダW杯でも準優勝を勝ち取った。

フィジカルに劣るなでしこはプレッシャーをかいくぐるために佐々木則夫監督の下、パスサッカーを指向した。素早いパスワークは2011年当時、最も美しいサッカーと評価された。

ただ、その土台となった走力は年とともに衰え、対戦相手もなでしこに勝つために研究を進めた。なでしこも足を止めていたわけではない。レベルアップを図り、個を一段と磨くために努力していた。それでも経験の差からか、11年W杯世代を乗り越える若い世代は登場しなかった。

なぜ若い世代が出てこなかったのか。それは2つめのキーワードである組織の硬直化にかかってくる。やはり佐々木監督で8年は長すぎたのかもしれない。正直、カナダW杯で勇退がベストな選択肢だったように思う。

それは、やはり困ったときに歴戦をくぐり抜けた選手に頼ってしまう傾向があったからだ。若手の奮起を促すように佐々木監督と選手の距離感も変わった。

2011年頃まではオヤジギャグで笑わせ、チーム全員で一体感を自ら進んで演出し、選手に誕生日を祝ってもらうなんてことが話題に上った。

しかし、状況は一変した。ドイツW杯以降、世界で追われる立場となったなでしこは佐々木監督も、よりレベルアップを図るために厳しい態度に変わったように思う。それはレギュラーを固定せずに門戸は開かれている姿勢を見せるように、一定の距離を置いた。

でも、最終的に試合に出場するのはほとんど2011年の顔ぶれと変わらず。若手のモチベーションは上がらず、逆に選手間の意識の差を生み、リーダー役の澤を欠いたリオ五輪予選では空中分解を招いた。

リオ五輪予選。澤なきなでしこの責任を一身に背負った宮間あやは五輪出場を逃して代表引退の意向を固めているとの報道もある。硬直した組織を立て直すには、佐々木監督をはじめ主役級の選手が退くことも大手術として必要なのかもしれない。

本来は若手がベテランの間に割り込んでくるのが理想だったが、やはり佐々木監督自身も新たななでしこのビジョンを描けず戦術がマンネリ化してきてしまったり、停滞感もあったのではないかと思う。

東京五輪、次期ワールドカップに向けて長い目で新たなチームを一歩ずつ作り上げていって欲しい。

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